網代の祭り 阿治古神社例大祭
熱海中心部から伊東方面へ車で10分程、熱海の奥座敷として知られる網代温泉はあります。
阿治古神社例大祭は、江戸時代から港町として栄えたこの網代で繰り広げられる勇壮な夏祭りです。
見どころ
旗や露払いの獅子に先導された両宮丸という船形で上に神輿が乗った重さ10トンはあろう山車を大勢の若者の手で勇壮に引き回し地区内を練り歩く御神幸行列
市無形民族文化財に指定されている鹿島踊り
町内毎に5台の山車による太鼓合戦
最終日に魚市場の裏手、お祭り広場で行われる網代ベイフェスティバル
祭り日程
7月19日 例祭 宵宮祭
7月20日 例祭 還幸祭
7月21日 網代ベイフェスティバル
網代を愛した著名人
網代に住む事ができてよかった。 日ごと趣を変える相模湾を眺めながら女房と朝晩の挨拶のように言い合っている。本当にラッキーだった。 私たちはともに山口県の瀬戸内育ちの海派で、老後は仕事を少し減らしながら「海が見える場所」で暮らしたいと首都圏を探して歩いたが、ひょんな事から
網代
に巡り会った。 ツイている。 仲間が口を揃えて「いいですね。」と言うが本当のよさは住み慣れてみなければわからないのだ。 九年近くお世話になって網代にはおいしいものが七つある。 空気が鼻においしい、眺望が目においしい、塩湯が肌においしい、鳥の鳴き声が耳においしい、鮮度よく安い魚が舌においしい、自然いっぱいの散歩道がたくさんあって足においしい、そして何より町全体がおっとりしていて住民の皆さんの眼差し穏やかで心においしい。 こんな環境に恵まれ有り難い事だ。 私達ともに六十八歳。余生をご厄介になります。 宜しくお願いいたします。 二〇〇四年 盛夏 政治評論家 岩見 隆夫
御神船両宮丸
京、大坂、江戸、網代
江戸の昔より「京、大坂、江戸、網代」と俗謡に歌われ、港町として栄えた漁業の町・熱海市網代町の阿治古神社に伝承される御神船「両宮丸」(りょうみやまる)についての詳しい資料は現存しない。船形の山車に神輿が乗った形態は一般に「船車」と呼ばれているようだ。 御神船両宮丸は阿治古神社の例大祭7月19日から21日までの三日間のうち、本祭りの20日の御神幸行列にのみ引き回される。すなわち行列が町内を巡りお旅所に着く「お下り」(巡幸祭)と、お旅所から神社までの「お上り」(還幸祭)の際に、神が乗る乗り物として引き回される。引き回しには、昔から厳しい定めがあった。(例えば、14日の天王祭前に旅行や所用で網代を出たものは祭り前には帰ってきてはいけない。帰ってきても祭りには出られないなど。ただし今はない。) ただ、御神船にたずさわるのは網代八町内のうち片町と南町の二町内と決まっている。もともと阿治古神社の祭典そのものは片町のものと伝承され、南町は片町から分かれた町内のため、今でも昔のしきたりに基づき片町、南町の二町内と決められている。
流れひょうたん
流れひょうたん片町南町の若者が御神船を引き回す際の祭り衣装(浴衣)は独特の模様をしており、古老よりの伝承によれば「流れふくべ」(流れひょうたん)と言われている。流れひょうたんの由来は、天正十八年、豊臣秀吉が小田原征伐の際、網代より軍艦三十艘を出し、相州厚木城を攻めた際、軍功があったことから秀吉の旗印である「千成瓢箪」に因んでひょうたん印の船幕を許された。しかし世が徳川の天下となったことから秀吉ゆかりのひょうたん印を徳川家に遠慮し、ひょうたんを割って流れひょうたんにしたと言われている。 また世が下って、三代将軍家光が浜離宮に行幸したとき、幕府水軍奉行向井将監の命で「船謡」(ふなうた)を披露し、あまりにも歌が見事であったことから、感銘した徳川将軍家より「流れひょうたん」の船幕を拝領したとも伝承されている。いずれも伝承であって真偽のほどは不明だが、流れひょうたんの模様自体は、古来より「立湧」(たちわく)という紋様として知られ、正倉院御物の中にも同様の紋様があることがわかっている。(郷土史378p参照) 網代の代々の庄屋をつとめる岡本家は紀州岡本城の城主で、戦国時代に戦いに敗れ、網代の領主菊池氏をたよってこの地に落ち着いたとされている。岡本家は源氏の流れを汲む由緒ある家柄で、現代の御神船の白地に「両宮丸」と染め抜かれた旗印は岡本家の寄贈による。源氏の白旗であることがゆかしい。 このように、御神船両宮丸には源氏、豊臣、徳川の三代のロマンが秘められており、港町として、また漁業で栄えた網代の海の男たちの血を沸かす祭典である。このことは良く知られ、幕末に編纂編纂された「豆州志稿」では網代の祭りを厳格であるが「近隣になく勇猛にして無比」と形容し記している。 現在も引き回しは、「ヤー、ヤー、ヤー」のかけ声で勇猛に行われるが、町の角々、辻で船が止まったときの姿は優雅である。木遣り師の歌声に合わせて綱を引く若者が入れる合いの手の掛け声、船の中で古老が歌う船謡。そのスタイルには江戸期の網代の祭りの本来を十分連想させ、かつ、また「京、大坂、江戸、網代」と歌われた網代の繁栄ぶりを十二分に垣間見ることができる。 現在の祭礼は明治四十五年の式次第に準じてはいるが、祭礼は今でも厳格であり、引き回しには約九十人の人足を要するが、行列に平服で参加することは許されていない。神役(じんやく)という「大麻」(おおぬさ。おおぐさとも言う)や神官を守る役目の帯刀した若者の刀は、平成十四年まで公安委員会に登録された本物の刀であったほどだ(もっとも錆びていて使い物にならなかったが)。また、大麻役の若者は若衆組を卒業した壮年が係りで、長老はその所作については厳しい指導をする。
両宮丸の名前の由来
両宮丸の名前の由来は、阿治古神社境内に二つの宮があったことに由来している。現在の阿治古神社と相殿・来宮神社である。来宮神社は現在の網代公民館の地にあったとされる。昔は町役場のあったところである。両宮丸をしまうお船倉は公民館前にある。 来宮神社は往古、下多賀中野中村の地に鎮座していたが、寛文十一年(一六七一)の「亥の満水」(いのまんすい)といわれる洪水で流され、網代宮崎の地(現在のお浜)に流れ着いたことから網代で祀ることにしたと伝承されている。(郷土史436) 昭和五十年に刊行された
網代郷土史
には両宮丸の記載はただ一箇所しかない(同463)。幕末の下田奉行小笠原長保は文政年間に下田を巡検したがその時したためた「甲申旅日記」(文政七年、一八二五)に網代から熱海まで船で渡ったが、その船に「両宮丸」の旗印があったことを記している。 また、享保七年(一七二二)の阿治古神社大祭式(175)では「お船警護十二人、御輿かき六人」と記載され、このことから「船と御輿が別々のもの」であったことがわかる。ところが天明五年(一七八五)の「両社ご祭礼式」お定め書では「御神船片町若者役」とあり、御輿についての記述はない。この時初めて「両社」が登場し、神の乗り物である御輿の記述がないことから御神船が現在の両宮丸の形態になったものと推察される。
(資料提供 熱海新聞 森野千明氏)
市無形民族文化財 鹿島踊り
阿治古神社鹿島踊り
阿治古神社鹿島踊りは、古来、茨城県の
鹿島神宮
より発祥し、
網代地区
を始め伊豆一帯に伝承されているが、これの起源は定かでない。しかしながら、江戸時代の享保7年(1722)の阿治古神社御祭禮式定書をみると、鹿島踊りの奉納の神事を見ることが出来る。 300年近くにも及ぶ長い歴史の中で、多くの先人たちの口伝により連綿と受け継いだ、町栄組(町場・栄町)の若者達が現在もなお大きな誇りをもって、毎年7月19日の宵宮と、20日の例大祭の両日に、阿治古神社社前と御旅所がある大浜において鹿島踊りを奉納している。 神事での役割は、氏神様(網代の神)が社から出られる村の道々が、常に清浄であるように、また、渡御にあたっては、人々に神徳が十分行き渡るように、鹿島鉾が先頭にたち悪霊払いと清めの重要な役割を担っている。町栄組の鹿島踊りが無くしては、網代の祭りは始まらないとまで言われている由縁である。
踊り手
踊り手は白装束に白足袋、白帯に三つ折りの半紙を左腰につけ、右手に白扇子、左手に幣束をもって踊る。幣束は二種類ある。色紙の幣束を持った若年者が外周に配置され、白色の幣束の持ち手は内側にひかえ、唄上げ役の年配者が受け持つ。そして「据え太鼓」1人と、白の馬乗り袴を着用し、一対の日月を持つ「お鏡」役の2人を中心にして総勢40人の男子の若衆が「方形」 「円形」を繰り返し、敬虔な祈りを込め、唄いながら勇壮に踊る。 このため、神事の済んだ後の鹿島踊りの若者達の腰紙の半紙は、イワタオビの中に入れるなど、出産を控えた家庭で安産祈願の「お守り」として、またお鏡のオシメも疫病や流行り病を防ぐ「お守り」として、地域の人々に大切にされている。
鹿島神宮との結びつき
鹿島神宮
との結びつきも、鹿島踊保存会と鹿島講、近年は町栄若衆組が中心となり鹿島神宮への鹿島踊の奉納や、「大漁祈願」「家内安全」の代参など、「鹿島講代参帳」に記されている明治29年以降から数えると、合計80回、この内、鹿島踊の奉納は6回にもおよび、鹿島神宮の大神「武甕槌大神」のご威光にあずかり、鹿島踊りのさらなる上達と清浄な精神の錬磨に励んでいる。 なお、昭和52年には「無形文化財」として熱海市から指定を受けている。
(資料提供 阿治古神社鹿島踊保存会会長 日吉和男氏)
(作成協力 水野直博氏)
立ち寄り処
味処 銭屋
網代港
の旬の食材を使ったおいしい料理は地元でも人気。お忍びで通う芸能人も。 常連客の中には、車で来て酔いつぶれ車ごと家まで店員に送り届けられる者もいるとか。そんな人情味あふれるもてなしも人気の秘密なのかも。(※送迎はやってません)
場所:網代駅前通り 駅を出て100メートルまっすぐ進んだ右手 営業時間:17:00〜23:00 TEL:0557−68−3311 月曜定休
スナック 気まぐれ
網代港
まで1,2分の立地条件から、釣り客も多数訪れるよう。 ママが山形出身なので芋煮汁が冬の裏メニューだったりします。釣った魚を調理してくれるよう頼んでみてもよいかも知れません。
釣り船紹介あり。
場所:網代温泉通り 第一ホテル跡地向い 営業時間: 9:30〜14:00 17:30〜24:00 TEL:0557−67−4005 木曜定休
ひもの屋 弁天
網代ひもの銀座
の老舗。ここは駐車場もあって便利 網代の「ひもの」は昔ながらの天日干し。 あじ、いか、カワハギ、金目鯛、塩辛などが売れ筋です。 通販もやってます。 場所:国道沿い 網代干物銀座の真ん中あたり TEL:0557−68−0103 FAX:0557−68−0796
アクセス
電車
東海道線 熱海駅から伊東線で3つ目 網代駅下車
車
東京方面から
東名厚木IC→小田原厚木道路→国道135号線(真鶴道路、熱海ビーチライン経由)
名古屋方面から
東名沼津IC→国道1号線(三島方面)→下田街道→熱函道路→国道135号線
リンク
【JTB】網代の旅館・ホテル
【じゃらん】網代の旅館・ホテル
熱海市観光協会
熱海温泉の観光情報を毎日更新しています。
網代観光協会
網代温泉の観光情報を公開しています。
伊東市・伊東観光協会
日本各地の屋台が見所の祭りを紹介。屋台の台数、構造、見所と感想。
「祭り」に関する様々な情報を発信しつづけるサイト
祭りにっぽん
島根県指定無形民族文化財『槻の屋神楽』
著作権表示
当サイト内に掲載されている画像、音楽、映像の著作権は『網代の祭り』にあります。
許可無くしての転載、再配布は禁止させて頂きます。 Copyright(c) 2003/5/3 Ajiro.com All Rights Reserved.